変わらない友人


春休みに、鳥取に帰省したときの話。

今回の帰省で、約20年ぶりに小学校、中学校時代の友人である白石さんに会うことになった。

連絡はちょくちょく取っていたが、実際に会うのは、おそらく成人式ぶりだと思う。

子供のときの白石さんの印象は、

シャイで
大人に見知りしてしまい
犬が大好きで
ユーモアがあって
独自の発想があって
芯が強く
その奥に凄まじい優しさがあって
人の名前を必ずフルネームで呼ぶ

心のリーダーのような存在であった。

そんな白石さんと、約20年ぶりに会う。

勇気を出して「遊ばない?」と連絡したものの、前日から、なんだかそわそわと緊張していた。

時の流れは大したもので、我々は同い年の子供を持つ母になっていた。

「あの白石さんがお母さん!」
とわたしが驚くように、白石さんもまた
「あのイモトさんがお母さん!」
と思っていただろう。

当日、白石さんが車で迎えに来てくれ、一緒に「とっとり花回廊」という、お花が有名な公園に向かった。

再会は「久しぶりーーー」とハグするわけでもなく、淡々と子供をチャイルドシートに乗せ、事務的な会話をするという、ぱっと見はいつも遊んでいるかのごとくだった。

ただ、わたしの心の中では興奮気味に
「これが白石さんなのだ」
と叫びたかった。

わかりやすい感動とかエモいというのが、きっと、白石さんは苦手なのだ。

あえて淡々と、シートベルトの確認などなにげない会話をしているのだが、わたしには、小学6年生のあのときの白石さんの姿が見えた。

決してナビを使わない白石さん。

っぽいっぽい。

花回廊の入園料を、わたしがみんな分を出そうとしたときにはっきりと
「そういうのいやだ」
という白石さん。

っぽいっぽい。

お互い、年を重ね環境は変わったけれど、やっぱり白石さんは白石さんなのだ。

たくさん遊び、帰りの車の中で白石さんがふと、「ケンタ」の話をし始めた。

ケンタとは、うちで昔飼っていた犬である。
雑種の中型犬で、今とは違い、外に犬小屋があった。
犬好きの白石さんも、何度か会っていた。

わたしが中学2年生のとき、「鳥取県西部大地震」があり、全国的にはあまり知られていないかもしれないが、震度6で学校の窓ガラスが割れたり、とても怖い体験をした。

ただ、亡くなった方はおらず、そこだけは不幸中の幸いであった。
しかし、人より地面に近い犬はかなり敏感になり、怯え、その後の余震の影響もあり、ケンタは命を落とした。

その話をふと始めた白石さんが、あの後も日本でたくさんの大きな地震があって、死者何人というニュースを見る度に思うのだと。

「鳥取県西部大地震」では死者0人だけど

「あの地震でケンタは死んだんだよなぁ」

白石さんは、ケンタのことをずっと思ってくれていたのだ。

わたしですら、久々に思い出したケンタという名前。
その言葉にたまらなくなった。

やっぱり白石さんは白石さんで、何も変わっていない。

大好きな友人。

最後に、子供達と一緒にみんなで写真を撮りたかったが、「わたしは写らない」と頑なな白石さん。

っぽいっぽい。

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